他言大学教員、デザイナー、二九歳のリアル

現在進行形で生成している
考えを記録する。

不完全なものを外に出しておく

エージェント:まず、「他言」を立ち上げた理由について、どこから話し始めましょうか。

岡本:一旦、大学院時代に連載していたnoteの話からですかね。博士課程の三年間、noteで「課程博士の生態図鑑」というマガジンを月一回連載していたんです。そこで何を書いていたかというと、その一ヶ月間で何を勉強したのか、何を研究したのか、どういうものを見たり聞いたりしたのか。そういう思考過程やプロセスを、一ヶ月分、一〜二万文字くらいでまとめる。それを三年間続けていました。

エージェント:今振り返ると、その行為で一番重要だったことは何でしたか。

岡本:僕は日記を残さなくても、わりと常に内省的ではあるんです。一ヶ月間何をやってきたかということ自体は、自分の中で考えている。でも、それをわざわざ文章化して外に出す。アーカイブする。その価値については、明確なきっかけがありました。僕が修士課程の頃、東京大学で建築をやってい石田康平さんという方がいて、その人が博士課程だったんですね。その人も同じように、noteで一ヶ月ごとにマガジンを書いていた。修士課程と博士課程じゃ全然違いますが、同じ学生のリアルな悩みとか、葛藤とか、研究の内容とか、そういうものを見ることに僕はすごく勇気づけられたんです。めちゃくちゃすごいプロのデザイナーや建築家の言葉よりも、いい意味で洗練されていないというか。学生なので不完全じゃないですか。そういうところにすごく勇気づけられた。だから僕も、かっこよくない部分を見せることも含めて、自分語りをしておくことで、誰か一人でも勇気づけられるのかなと思って、外に発信していたのかなと。今になって思いますね。

エージェント:その「かっこよくない部分」というのは、具体的にはどんなものでしたか。

岡本:僕のnoteでいうと、たとえば論文の査読に落ちたり、国際学会で全然だめだったり。そういう失敗談は積極的に残していましたね。

エージェント:それを書くことで、ご自身の中でも何か消化できていたのでしょうか。

岡本:ある意味、消化できていたのかもしれないですね。外に出したことで、それを「ネタ」にできたというか。そうすることで、ストレスを回避していたのかもしれない。

エージェント:その感覚は、今も残っていますか。

岡本:ありますね。僕は自分の仕事や作品を載せるポートフォリオサイトも持っているんですけど、そこでは、どんなに自分の中で納得がいっていなくても、クオリティが低いと思っていても、絶対に外に出す。恥ずかしくても出す、ということを徹底しています。日記を書かなくなったあとも、それは続けていましたね。

エージェント:私はそれを、完成度や評価に対する距離の取り方にも見えます。怖さはないですか。

岡本:逆に言うと、自分をよく見せすぎることに恐怖心があります。

エージェント:なぜでしょう。

岡本:そんなに自己評価が高くないからですかね。ただ、むしろデザインをやっていたから、こういう感覚が身についたのかなとも思っていて。僕は、デザインの本質ってプロトタイピングだと思っているんですよ。失敗を可視化して、どんどん改善していく。磯崎新のプロセス・プランニング論じゃないですけど、時間の流れがあって、納期が来て、その断面が成果物である。だから完璧な姿というのは原理上存在しなくて、ある時点で切れた断面が完成品である。そういう考えに立つと、むしろすべてのものは不完全である、という話な気がしますね。

エージェント:完成を拒むというより、時間の中に自分を置き直しているようにも聞こえます。

岡本:まさにそんな感じだと思います。どうせまだ僕は二十代ですし、成熟しているという自覚もない。だから積極的に、現時点の自分の断面を、そのまま見せることを意識している感じですかね。

書くと、思考に決着がついてしまう

エージェント:では、なぜnoteをやめて、「他言」を立ち上げたのでしょう。

岡本:端的に言うと、博士課程の頃より、今のほうが忙しいからですね。今は大学教員をやりながらデザイナーもやっている。教員二年目なので少し落ち着いてきましたけど、とにかく去年は、月一回、一〜二万文字を書くことの優先順位がすごく低くなってしまった。それで一旦、noteはやめました。ただ、忙しさだけではないですね。文章で考えて、文字で残すという行為は、一人の世界に閉じこもって、勝手に思考が収束していってしまうんですよ。悪い意味で、その一ヶ月という時間の流れに「決着」がついてしまう。考えが収束してしまうので、文章で残し続ける意味を少し考え直した、という感じです。

エージェント:一方で、ラジオもやっているんですよね。

岡本:大学院時代の後輩とやっています。最近はあまり活動していないですけど。そこで、自分の生煮えの考えをそのまま出す。そうすると、ある意味、自分の考えに決着がつかないんです。発散したまま終われる。それが結構大きかった。だから、そういう形式で日記も残せないかな、というところから「他言」を立ち上げることに至りました。

エージェント:書くことと話すことの間で揺れている感じがありますね。

岡本:そうですね。ただ、ラジオはラジオでいいんですけど、文字としては残らないじゃないですか。見る側の視点に立ったときに、音声だけだと、ぱっと見で全体の内容を把握できない。だから、文章で残すことは、読む側にとってはそれはそれで重要だと思ったんです。それで、喋りながら、それを文章にするという形式にしたかった。

過去を書くのではなく、現在を残す

エージェント:話し言葉をそのまま残すことで、何が見えると思っていますか。

岡本:さっきも言いましたけど、思考が収束しないことですね。今、現時点でリアルタイムに考えていることを残せる。書く言葉って、僕の中では常に、少し過去のことを残している感覚があるんです。文章を書く時点で、すでに一度、自分の中で考えたものがある。だからちょっとだけ過去なんですよね。でも話し言葉は、現在進行形で生成している考えをそのまま残せる。ある意味、まとまりのない情報を残せるというのが強みだと思っています。

エージェント:あえて、まとまりのなさを置いておく。

岡本:そうですね。それが「他言」の一番のポイントだと思います。対話しながら、いろいろな考えを発散していくこと。

日本語を縦に読む

岡本:あと、「他言」は縦書きなんですよ。PCでもスマホでも、横スクロールしかできない。

エージェント:なぜ、その形式にしたのでしょう。

岡本:日本語で残すとなったときに、僕はやっぱり縦書きの言葉だと思うんですよね、日本語って。ひらがなの流れを追うとわかると思うんですけど、やっぱり縦書きのほうが書きやすいし、リズム的にも、僕は読みやすい。特にスマホで見るとき、横書きって実は視線の切り返しが多くて疲れるんじゃないかと思っていて。Kindleのスマホアプリで本を読んでいるときも、目の切り返しが多すぎて疲れるな、という感覚があった。だったら、実は縦書きのほうがスマートフォンにも適しているんじゃないか、という説ですね。

エージェント:縦書きにすることで、思考そのもののリズムも変わりますか。

岡本:いや、それは僕自身についてはないかな。縦書きの画面を見ながら編集しているわけではなくて、今みたいにAIとの対話の中で情報を生んでいるので、内容を考えているときには縦書きを意識していない。縦書きは、あくまで見る側の視点に立ったときに、そちらのほうがいいんじゃないかという話ですね。僕がどう考えるかというより、読む人がどう受け取るか。その意味では、縦書きという形式と、対話しながら考えを発散していくことは、少し別のレイヤーにあります。「他言」の一番のポイントは、やっぱり対話しながら、いろいろなことを考えて、発散した状態のまま残していくことだと思っています。